おもしろコラム 3月号
81/88
の食生活に大きな影響を与えているに違いありません。 学童への給食のはじまりは、1796年ドイツのミュンヘンでルンフォルドという伯爵が貧しい子どもたちに地元の食堂でスープをふるまったのがはじまりとされています。 日本では明治22年山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で、貧困児童を対象に無料で学校給食を実施する。これが我が国の学校給食の起源とされています。 ちなみにこの小学校は仏教の各宗派がお金を出し合って作ったもので、私立ですが授業料をとらず給食費もとりませんでした。ヨーロッパも日本も、給食の目的は貧しい子どもたちへの救済だったのです。●本格的な給食は戦後から 昭和7年(1932)、昭和恐慌のあおりで栄養状態の悪い児童がたくさんいたため、日本政府が補助金を出して給食を奨励するようになりました。これが国による最初の給食です。 しかし第二次世界大変の混乱もあり、全国の児童全員に給食がいきわたることはありませんでした。 敗戦後に日本は深刻な食糧不足を迎えます。終戦直後の日本人は100万人が餓死するとさえいわれていたのです。しかし、しかし日本政府もアメリカに食糧支援を頼みますが、アメリカをはじめとするGHQ(占領軍)は最初、日本に食糧援助をする気はありませんでした。戦争に負けたおまえらが悪いというわけです。 しかしソ連や中国といった社会主義国の台頭と東西冷戦がはじまると態度が変わります。日本を取り込んでソ連や中国の太平洋上の盾となってもらうためです。 しかしアメリカはヨーロッパや日本が占領していた東南アジアにも食糧援助をしなくてはならず、日本政府が300万トンの食糧を求めても、60万トンしか輸出を認めませんでした。 このままでは日本に大量の餓死者が出てしまうと思った日本政府は、アメリカに頭を下げて家畜用の飼料を分けてもらうことにします。その中には戦後の学校給食でまずいと言われていた脱脂粉乳なども含まれていました。 学校給食が充実するようになるのは「学校給食法」が制定された昭和29年からと言われています。●学校給食で広まったパンと牛乳 学校給食が日本の食文化に大きな影響を与えたのは、はやりパンと牛乳による食の欧米化でしょう。戦前の日本人はカロリーの8〜9割をお米から得ており、栄養も偏ったものでした。●小中学校9年間で1800回も集団で食べるランチ「給食」 おそらく読者の皆さんのほとんどは学校給食を経験したことがあることでしょう。学校給食は1年間で約200回、小学校6年間で1200回、中学校3年間で600回、合計1800回も集団でランチを食べるというものです。 育ち盛りの時代に食べる学校給食はその個人個人において学校給食という食文化
元のページ
../index.html#81