おもしろコラム 3月号
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世の中には、時々、「俺は平成の坂本龍馬だ」などと自ら口にする人がいるようですが、まあ、人間、自分でそういうことを口走り始めると、大体ろくな事はないようです。で、その坂本龍馬ですが、そもそも、彼が幕末にあれほどの八面六臂の活躍を為し得たのは、奇跡的・・・いやかなり奇術的なことで、やはり、それを為し得たのは龍馬の人柄や能力などもあったのでしょうが、何と言っても、幕臣勝 海舟の知遇を得たことが大きかったように思います。今で言うならば、経済産業省の審議官のような人の信頼を得たようなもので、その人の私設秘書として有力政治家や大物経済人などに使いさせられるうちにそこで得た面識と信用をもって、事業に取り組み始めた・・・と。そう考えると、坂本龍馬という人物を評する上では、人脈を活かし、企業間の周旋を取り持つことを得意とする経営コンサルタント・・・という見方をするのが一番適当でしょう。ただ、一方で、西郷隆盛は「長州工作は坂本という土佐の浪人を使ってやっている」と書き送っているそうで、それをして、実は龍馬は使われていた一人に過ぎないんじゃないか・・・という見方もあるようですが、私はこれは採りません。まず、そもそも彼が英雄として知られることになった経緯としては、明治16年(1883年)、高知の新聞に掲載された「汗血千里の駒」なる読み物や、明治37年(1904年)、日露戦争直前に、時の皇后の夢枕に龍馬が立った・・・などという話などがあるようですが、何より、坂本龍馬の名を幕末の風雲児・・・から、アイドルにまで高めたのは、やはり昭和37年に連載が開始された司馬遼太郎氏の「竜馬が行く」でしょう。ただ、司馬遼太郎という人の、あまりにも良い仕事をしすぎたがゆえの弊害は大きく、ここに書かれている龍馬の姿を史実・・・、いや、「現実」と思いこんでいる人も多いようで、意外に先生と名が付く方の中にも、これを現実の姿だと思っている人たちが多いようにも聞きます。しかし、司馬氏は、生前、「竜馬が行く」を教科書で使いたいという打診があったとき、「とんでもない!あの作品は、実在の『龍馬』ではなく、あくまで、私が作り出した『竜馬』なんだ」と説明したそうです。この点は、昨今流行の昭和ノスタルジー映画などが「良い時代であった」・・・・・ということを描こうとするあまり、デメリット部分を描いていないことと共通するでしょうか。つまり「リアルではなくリアリティが大事」だと・・・。確かに制作者の目的は真実を伝えることではなくあくまで観客を楽しませることにあるわけで、観衆はそこを理解して見なければならないのでしょうが、大衆とはとかく、虚構と現実の区別が付かなくなるもののようで・・・。その意味では彼が薩長同盟の仲介者たり得たのは、逆に背景がなかったことがよかったということもあるでしょう。あれが、龍馬個人、もしくは、海援隊という、どこにも所属していない、言わば、非営利団体のようなものだったから、薩長をはじめとする諸藩にとってはそれなりに使い勝手が良かったわけでしょうが、それがもし、土佐藩やどこかの藩主が仲介者だったとしたら、色々と面倒なことになっていたと思います。つまり、ある意味、時代が、龍馬や中岡慎太郎などのフリーの志士の活躍を容認していた・・・、そういう時代だったということでしょう。 (文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)2008-1 幕末のアイドル坂本龍馬の実相

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