おもしろコラム 3月号
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●現代社会は急速に食文化が変わっている 食文化というのは本来ならそう急激に変化するものではありませんでした。日本人は2千年間、日本のお米、ジャポニカ米を主食としてきました。明治時代、そして太平洋戦争後、パン食が入ってきましたが、いまだに日本人の主食はごはんが中心。 1993年(平成5年)におこった米不足による『平成米騒動』では、急きょタイからタイ米(インディカ米)が輸入されましたが、日本人の口に合わず、大量に放棄されたり、あるいは「日本の米がないなら、パンを食べればいいではないですか」と、マリー・アントワネットのごとく(実はアントワネットが言った言葉じゃないけど)という人などおらず、まして「貧乏人は麦を食えばいい」などという人もおらず、日本人はただひたすら「日本のお米が食べたい」と訴え続けたことがあります。 食文化というのは、それほどその国や民族文化と同体であり変化もしにくいものなのですが、ここ百年、数十年の科学や機械の進歩、情報化社会、国際化、交通機関の発達などによって、私たちの日常もそして食卓も大きく変化し続けています。 食文化がそれほどの勢いで変化したのは『工場』で『製品』として、食べ物が作られ、その製品が世界中に渡って食べられるようになったからです。●ナポレオンの時代、缶詰が発明される もちろん20前半以前にも、大勢の人が集まって魚の干物を作るなど、工業製品に近い作り方をする食べ物はたくさんありました。 しかし歴史的にそれが本格的になったのは、おそらくナポレオンの時代に開発された缶詰食品ではないでしょうか? 当時ナポレオンはヨーロッパ各地で戦っていたため、食料の保存がきいて持ち運びやすい方法を探していました。最初に使われたのが加熱殺菌した食べ物を入れたビン詰めです。しかしビンは重く割れやすいという欠点がありました。1810年、缶詰がイギリスで発明され、わずか3年後の1813年やはりイギリスで世界初の缶詰工場が誕生します。 缶詰誕生の裏話を一つ。缶詰が誕生して48年間という間、缶切りが発明されなかったということ。 どうやって缶詰を開けていたかというと、ナイフやノミなどを使って強引に開けていたそうです。 缶詰は、調理した食品を加熱殺菌するため保存がきき、料理するという手間も省けるため、とても便利で一般にも普及。普通の食品だけでなく、果物やジュースにビールと、食文化に大きな影響を与えました。●レトルト食品はアメリカ陸軍から。一般食としては日本が最初食文化を変えた工場食品たち

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