おもしろコラム 3月号
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もハモが捕れるのは瀬戸内海や九州ですから、西国大名などは好んで食べたのでしょう。 貝類ならまずはアワビ。次いでカキ。これらの貝類も、干したものが贈答品として好まれたようです。 ●好まれたお肉は意外にも……  では、獣肉はどうでしょう? 日本に仏教が入ってきてから、獣の肉を食べることが禁止されたりして、どんどん食べなくなっていきました。しかし、もちろんまったく食べなかったわけではありません。江戸時代では薬と称して肉を食べていました。  戦国時代にヨーロッパからやってきた宣教師ルイス・フロイスは「日本人は野犬や鶴、大猿、猫、生の海藻などを喜ぶ」「我々は犬は食べないで牛を食べるが、彼らは牛を食べずに犬を家庭薬として食べる」 と、書き残しています。犬、鶴、大猿、猫……、現代の日本人からみたらギョッとするものばかりですね。当時の日本には牧畜の発想はなく、牛や馬は農耕用や運搬用で、食べることはほとんどありませんでした。養豚も一部の地域では行われていましたが、一般的ではなく、戦国時代の日本人が食べていたのが、野生の動物の肉だったのです。 ではここで問題です。中世の日本において、記録に残っている食肉はなんでしょう?答え:タヌキ。 え? って思うでしょう。でも記録ではそうなっているのです。タヌキは主に狸汁にして食べていたようです。 鳥肉ではなんでしょう。答え:雁(かり)、次いで鶴、その次が白鳥。 意外な食べ物ばかりですね。でもこれらは公家や大名の贈答品などの記録からなので、本当のところ圧倒的多数である庶民がどのようなものを食べていたのかは、残念ながらあまり記録に残っていません。いったい戦国時代の庶民はどんなものを食べていたのでしょうね? (食文化研究家:巨椋修(おぐらおさむ)/絵:そねたあゆみ)2016-03

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