おもしろコラム 3月号
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 そして当時のカレーライスは、まだ西洋料理の一品目。まだまだ日本の国民食とはなっていません。せいぜい高級な西洋料理店で出されるものであったのです。 軍隊がカレーを広めた? 明治時代、カレーライスはレストランで人気料理になりましたがまだまだ家庭内で作られる料理ではありませんでした。それが一般家庭に広まるためには安価で美味しいカレー粉が必要。実際に身近で作る人々が、必要でした。それまでのカレー粉はイギリス製のC&B社のもの。舶来品で庶民にはちょっと手が出ない代物だったのです。 それが明治の終わりごろから大正時代に国産のカレー粉が作られるようになります。いくらカレー粉が安価で手に入るようになっても、食というものは意外と保守的なもの誰かが目の前で作ってくれないと、なかなか新しい料理には手が出ないものです。それを一気に広めたのが、軍隊ではないかといわれています。 明治37年、日露戦争勃発。そのとき陸軍海軍とも軍用食としてカレーライスが採用されました。戦争が終わったとき、カレーライスの作り方を覚えた兵士たちは、故郷に帰ると家族にカレーの作り方と美味しさを伝えたのです。 特に海軍では、当時毎週土曜日にはカレーライスを出す習慣ができており、それがいまの時代では金曜日になっているのですが、いまやレトルト食品として『海軍カレー』の名称で人気商品となっているくらいです。 大正時代になると、カレー粉も多くの会社が手がけるようになり、より手に入りやすいものとなりました。 いまやカレーの具として必ずといってもいいほど入っているニンジン、ジャガイモ、タマネギも、このころにカレーに入るようになりました。これはシチューの影響であるようです。 また、カレーうどんは明治の末に生まれており、カレーパンは昭和2年に誕生。カレーは着実に国民食への道を歩んでゆきます。 第二次世界大戦中は、国中が食料不足となりましたが、カレーライスは相変わらず軍隊で食べられていました。 戦後カレーは国民食に 戦後、学校給食にもカレーライスが出され、子どもたちのハートをキャッチ! カレーはますます日本人の国民食となっていきます。やがて日本は高度成長期に入ります。そのとき現れたのがこれまでのカレー粉ではなく、カレーの固形ルー。このカレールーの登場は、カレー粉から作るものよりも、はるかに簡単に作ることができるため、一気にカレーライスが国民に親しまれていったのです。 また、1968年、一人用のカレーとして日本発のレトルト食品である『ボンカレー』が登場。いまやレトルト食品の3割はカレーであるといいます。日本全国に広まったカレーライスは、各地域でもそれぞれに発展し、ご当地カレーとして多くの人に親しまれるようになったのでした。

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