おもしろコラム 3月号
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 現在、実に多くの種類があるレトルトパウチ食品(以下レトルト食品と略す)は、1950年代、アメリカ陸軍により開発がはじまりました。 軍隊では缶詰よりも軽く使いやすい軍用食を求めていたのです。しかし一般には普及せず、なんと世界で最初にレトルト食品を商品化したのは日本だったのです。 その商品はいまでも多くの人に愛されている『ボンカレー』(大塚食品工業(現・大塚食品))です。『ボンカレー』は1968年に発売されましたが、工業製品としての大量生産する食べ物は1958年(昭和33年)にすでに誕生していました。日本で開発発明されたインスタントラーメン、日清食品の『チキンラーメン』です。 日々、大量生産、大量消費される工場で作られる食べ物たちは、確実に日本の、あるいは世界の食文化を変えつつあるのです。 ●工場製品食品は食文化の個性を殺す? 大量生産の工場製品食品は、いってみれば食文化のグローバリゼーション、地方や民族や国境を越えて、食品の均一化をなすものです。 日本ならば、どこの県のコンビニにいっても、同じ商品の食べ物を食べることができるということです。いまから50年前であれば、ある地方の人が別の地方に旅をしたとき、生まれ故郷とまったく違う味噌汁など、その土地土地の料理を食べることができました。 しかしいまでは、東北の人が九州に旅をしても、郷土料理のお店にでもはいらない限り、同じ食品を食べることが多くなりました。私が以前、北海道に旅をしたとき、地元の人のご招待だったのですが、連れていっていただいた料理店は、なんと北海道なのに沖縄料理店でした。 北海道の味を……、と思っていたのですが、北海道の人にとってそれは当たり前で、沖縄料理の方が、北海道の人にとってご馳走だったのかも知れません。 北陸に全国的にも有名なお医者さんがいて、友人なのですが、北陸にいったとき「最近、近所におもしろいお店が出来てさ」と、連れて行ってもらったお店が……、なんと東京の私の自宅近所にあるお店のチェーン店だったこともあります。 つまり地方地方の食文化の破壊につながるのではないか? という意見もあります。しかし私は、それほど心配をしておりません。文化とは変化するものであり、現代という急速に時代が変化している時代であっても、その土地の食文化は、時代に適応しながら変化しつつ残っていくことでしょう。 私はそんな時代に生まれたことを幸せにすら感じているのです。20年後、私たちはきっといまと違う、しかしいまの伝統を引き継いだ食べ物を食べて楽しんでいるのでしょう。 (文:食文化研究家 巨椋修(おぐらおさむ))2018-03

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